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東京高等裁判所 平成4年(ネ)2049号 判決

控訴人

甲野一郎

右訴訟代理人弁護士

桑原正憲

吉田豊

被控訴人

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

野嶋恭

藤森茂一

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は、控訴人の負担とする。

事実及び理由

一当事者の求めた裁判

1  控訴の趣旨

(一)  原判決を取り消す。

(二)  被控訴人の請求を棄却する。

2  控訴の趣旨に対する答弁

主文一項同旨

二事案の概要

1  本件は、被控訴人が、養子である控訴人に対し、養子縁組を継続し難い重大な事由があることを理由として離縁の請求をしたところ、原審は、右請求を認容したので控訴人が控訴した事案である。

その他は、原判決「第二 事案の概要」のとおりであるからこれを引用する。但し、次のとおり付加訂正する。

(一)  原判決二枚目表二行目の「記録」を「原審記録」に改め、同六行目の「弁論の全趣旨」の次に「、控訴人本人の供述」を加える。

2  当審における控訴人の主張

(一)  本訴において被控訴人が養子縁組を継続し難い重大な事由として主張する事実は、同一当事者間に先行した離縁請求訴訟と基礎事実を実質的に同じくし、前訴と後訴とは同一の離縁請求権を主張することになるから、本訴の請求は前訴の請求棄却の確定判決の既判力に抵触して許されず、本訴は不適法として却下されるべきである。

三当裁判所の判断

1  本案前の主張について

控訴人は、被控訴人の本訴請求は前訴の判決の既判力に抵触すると主張するので検討する。

〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、被控訴人と亡夫太郎は、昭和五六年一二月一六日に、控訴人を被告として新潟地方裁判所に離縁の訴えを提起した(同裁判所高田支部に回付され、同支部昭和五六年(タ)第一三号事件として係属)が、太郎は、訴訟係属中の昭和五九年一二月二二日死亡したので、同人を原告とする訴訟は終了し、同裁判所は昭和六一年一二月二五日被控訴人の離縁の請求についてこれを棄却する判決を言い渡したこと、被控訴人は、右判決に控訴し、東京高等裁判所は、昭和六二年一〇月八日に口頭弁論を終結し、同年一二月八日被控訴人の控訴を棄却する判決を言い渡したこと、被控訴人は右判決に対し上告したところ、最高裁判所は、平成三年九月一二日被控訴人の上告を棄却する判決を言い渡し、前記第一、二審の判決は確定したこと、被控訴人の右離縁の請求は、控訴人に対し、同人との縁組を継続し難い重大な事由があることを理由とするものであるが、控訴審の判決の判示した理由は、控訴人と被控訴人との間の養子縁組関係は既に破綻しているが、控訴人は右破綻につき専ら責任があるので、離縁の請求は信義誠実の原則に照らして肯認し難いというものであることが認められる。

被控訴人は、本訴において、控訴人に対し、民法八一四条一項三号所定の縁組を継続し難い重大な事由があることを理由に離縁を請求している。右縁組を継続し難い重大な事由の内容としては、破綻に関する状況、破綻についての責任に関する事由、右有責性を排斥する事由などが考えられ、右重大な事由はこれらを基礎付ける多様な事実により構成されるものである。そして、前記確定した控訴審判決の既判力は、その口頭弁論終結時において、右時点までに生じた事実に基づき、被控訴人に控訴人に対する離縁請求権がないことを確定するものであるから、右判決の既判力に抵触するのは、右基準時である右口頭弁論終結時までに生じた事実に基づいて右事由の存在を主張することであると解される。右基準時後に生じた事実を右基準時以前に生じた事実(前訴で主張された事実を含む。)と合わせて縁組解消事由等があるとして離縁を請求することは、養親子関係のような継続的法律関係の場合においては、新たな事実が加わることにより縁組解消事由等を構成する事実全体の法的意味が変容し、一旦不存在に確定した離縁請求権の存否に影響する可能性があるのであるから、事実を全体として見れば前訴で主張した縁組解消事由等と基礎事実を同一にして既判力に抵触するものということはできず、前記確定判決にかかわらずこれを主張することができると解される。被控訴人は、本訴において、右終結時後に新たに生じた事実をも主張して、右事実に基づき控訴人に対し離縁を請求するのであるから、本訴は何ら前判決の既判力に抵触するものではなく、本件離縁の訴えは適法である。

2  離縁請求について

(一)  〈書証番号略〉によれば、次の事実が認められる。右各証拠はいずれも、前訴において提出された証拠である。

(1) 被控訴人と太郎とは、昭和一四年に婚姻した夫婦であり、太郎は、建設業を目的とする甲野組建設株式会社など数種の会社を経営する事業家であった。

(2) 被控訴人と太郎は、実子に恵まれなかったことから、昭和五四年ころ、被控訴人と血縁関係にあり、実子同様に可愛がっていた乙野春子(以下「春子」という。)に婿をもらい、春子夫婦を養子にして被控訴人らの老後を託したいと考えるようになった。太郎は、同年八月下旬ころ、控訴人の父を介して、当時、明治薬科大学を卒業して同年六月一日から日研化学株式会社京都営業所に勤務したばかりの控訴人に養子になってくれるように申し入れ、控訴人もこれを了承した。

他方、太郎は、昭和五四年一〇月ころ、春子に、その父を介して、控訴人と結婚して養子に入るように頼み、同女は養子になることは承諾したが、控訴人と結婚するかどうかは同人と会ってから決めたいと答えた。

(3) 昭和五四年一一月二三日、控訴人と春子は引き合わされたが、控訴人は、その後、太郎から結婚の相手としての春子について尋ねられ、「いいんじゃないですか。」と答え、春子は、右会合の二、三日後、被控訴人らに控訴人との結婚を承諾する旨伝えた。このようにして、被控訴人と太郎は、控訴人が春子との結婚に合意したものと受け取った。

(4) 昭和五五年一月五日には、被控訴人方で、春子とその両親とは、控訴人と面談し、また、その後、同年一月半ばころと二月初旬ころ、控訴人は春子と会い、春子あての手紙で結婚に触れるなど、春子との結婚を肯定的に考えていた。

(5) 昭和五五年二月二九日被控訴人及び太郎と控訴人は養子縁組の届出をした。

控訴人は、太郎の意思に従って昭和五五年二月末で同社を退職し、同年三月末まで被控訴人方に同居して太郎の秘書兼運転手として働き、同年四月一日から同年九月末日まで建設業の見習いのため東京都内の渡辺組に派遣され研修を受けた。

春子も、控訴人との結婚に備えて、同年三月末で七年間勤務した巣鴨信用金庫を退職し、被控訴人方に同居して花嫁修行に専念した。

控訴人と春子は交際を進め、控訴人は春子に香水等を贈るなどした。

(6) 控訴人は、昭和五五年九月ころには、建設業の仕事を覚えるのに精一杯であり、春子との結婚を肯定的に考えながらも同女となお暫く交際をしてから結論を出したいと思うようになり、同年九月二八日、春子に対し、もう少し交際期間が欲しい旨を伝えた。

(7) 被控訴人と太郎は、昭和五五年一〇月一日ころ、春子から控訴人の右発言を聞き、控訴人に春子と結婚する意思がなくなったものと速断し、控訴人に激しい怒りを感じ、太郎は、「控訴人との縁組を破棄し、甲野の家の敷居はまたがせない。」などと言い、研修を終了した控訴人は、同年一〇月三日被控訴人方へ電話したところ、被控訴人から「甲野家に入っては困る。」と言われ、仕方なく控訴人の父方へ戻った。その後、同月一三日、第三者の仲介により控訴人と春子との話し合いがなされたが、物別れに終わった。この間、被控訴人や太郎は、控訴人から前記発言の真意や同人の結婚に対する意向について聴取することをしようとはしなかった。控訴人は、その後やむなく高田を去り、同月二〇日ころから蔵並建設株式会社で働き、二級土木施工管理士の資格も取得した。

(8) 被控訴人と太郎は春子と養子縁組をしようとしたが、春子は、これを拒み、昭和五六年五月三日、乙川と結婚した。

(9) 被控訴人と太郎は、控訴人に対し、昭和五六年二月二五日付け書面で正式に離縁を求め、これに対し、控訴人は、被控訴人らの養子として家業を継ぎたい旨の気持ちで手紙を書き送った。

被控訴人と太郎は、横浜家庭裁判所に控訴人を相手方として離縁調停を申し立て、控訴人は昭和五六年八月一四日同家庭裁判所調査官の面接調査を受け、調停は、昭和五六年一〇月七日に第一回期日が開かれたものの、被控訴人が離縁を求めたのに対し、控訴人が応じなかったため、一回の期日だけで不調に終った。なお、太郎は、昭和五六年四月六日、自己の全財産を包括して被控訴人に遺贈する旨の公正証書遺言をし、太郎の死後にこれを知った控訴人は、被控訴人に対し、遺留分の減殺を請求し、昭和六〇年五月二二日新潟家庭裁判所高田支部に遺留分減殺請求の調停を申し立てた。

(10) 控訴人は、前訴における本人尋問において、離縁する気持ちはないこと、甲野家の家業を守りたいこと、縁組のために人生を変えたが、土建業の仕事に興味を覚え、薬学関係の仕事に戻ることは考えていないこと、被控訴人が拒否しても、養親子関係を継続したいなどと供述した。

3  右事実によれば、前訴の口頭弁論の終結時に提出された証拠に照らしても、被控訴人(及び太郎)と控訴人は、養子縁組届出後一月間位親子として同居したことがあるに過ぎず、その後、春子との結婚を前提に控訴人を養子に迎える意図であった太郎と被控訴人は、控訴人が春子に漏らした結婚を差し当たり留保したい旨の発言に怒り、控訴人の甲野家への出入りを差し止め、その後両者の間には親子としての交際はなく、さらに被控訴人らは控訴人に対し書面で離縁を求め、続いて離縁の調停を申し立てたことを考慮すると、遅くとも、離縁の調停が不調で終了した昭和五六年一〇月七日から起算して約六年を経過した前訴の口頭弁論の終結時(昭和六二年一〇月八日)には、客観的に見ると、既に円満な親子関係を回復することが困難な状態に陥り、縁組は破綻していたものであり、右破綻は、被控訴人が太郎とともに希望し、養子縁組の前提条件と一方的に考えていた控訴人と春子との結婚が前示の経緯で控訴人から留保されたことを控訴人の話を聴かずに性急にも変心と独断して太郎とともに控訴人との関係を拒否した被控訴人に少なくとも主たる責任があったということができる。したがって、被控訴人は、控訴人との養子縁組の破綻につき、有責の当事者ということになる。因みに、前訴の控訴審判決は、「控訴人(被控訴人甲野花子を指す。)と被控訴人(控訴人甲野一郎を指す。)との間は、円満な養親子関係を形成するに必要な基盤を失い、精神的にも交流がないと断ずるほかはなく、被控訴人(前に同じ。)の側だけの意思〔中略〕を以てしては、如何ともなし難い程その養親子関係は既に破綻しているものというべきである。」と判示しながら、「控訴人(前に同じ。)に右破綻につき専ら責任があるとされてもやむをえないところといわなければならない。」と判示して、被控訴人の離縁請求は信義則に反するとして、これを認容しなかった(〈書証番号略〉)ものである。この被控訴人の有責性自体に関する限り、前訴の口頭弁論終結後に生じた新たな事実によってこれが変化したということは認められない。

4  そこで、養子縁組の破綻につき有責の当事者の離縁請求を認容することの可否が問題となるところ、本件が成人の養子縁組であることを考慮すると、親子関係が正常な状態を欠くに至った期間が相当の長期間に及ぶ場合には、被控訴人の離縁請求を認容することが著しく社会正義に反するといえるような特段の事情が認められない限り離縁の請求を認容することができると解される。以下に、前訴の口頭弁論終結時後に生じた事実に基づき、本件離縁の請求を認容することができるかを検討する。

被控訴人と控訴人との養子縁組が正常な状態を欠くに至った期間は、前示の離縁の調停が不調で終了した昭和五六年一〇月七日から起算しても当審の口頭弁論終結時(平成五年六月一六日)まで既に一一年八月余り(前訴の控訴審の口頭弁論終結時である昭和六二年一〇月八日からでも五年八月余り)を経過しており、養親子として通常の生活関係にあった期間が約七か月であることと対比するまでもなくそれ自体極めて長期間ということができる。この間、両者とも親子としての往来や音信の交換など生活上又は精神的な接触なく過ごし、当事者や関係者とも両者の関係の調整や修復に努めなかったことも手伝って、控訴人の気持ちはともかく、客観的には、もはや、親子としての正常円満な生活関係を回復することは不可能に近いといってもよいほど、養親子関係の破綻は深刻化が進んだ状態にあるというほかない。控訴人本人の当審供述によれば、控訴人は昭和五五年一〇月初旬、被控訴人方を訪問して拒まれて以来、訪れたことはなく、被控訴人に手紙で気持ちを伝えようと考えたことはあるものの、気持ちは通じないと思い手紙を出さなかったと述べており、控訴人自身も、長期間継続した疎遠の関係を緩和解消することの困難さを感じていることを窺うことができる。このように破綻が深刻化した状態のもとでは、仮に離縁の請求が棄却されたところで、本件養子縁組が意図したところの、被控訴人の老後の扶養、家業の継承も、当事者の意思にかかわらず、客観的には円満な実現は著しく困難であり、縁組は形骸化した状態のままで継続するに過ぎず、このことは縁組の本質に照らすと不自然な状態といって妨げない。

控訴人は、本件養子縁組により、専門を生かすべく勤務した会社を退職し、専門外の土建業に転進を図ろうとしたものであるが、被控訴人らとの関係がこじれて以後は、蔵並建設株式会社で働き、平成三年一月二二日以降はゴルフ場経営等を業務とする平和農産工業株式会社に転じ(控訴人本人の当審供述)、生活に支障のない程度の給与を得て安定した生活を送っており、右各会社での勤務期間も相当長期間に及び、薬学関係外の仕事にもほぼ定着したものということができるものであり、離縁により現在の右職業生活に大きな影響を受けることはほとんどない。

〈書証番号略〉によれば、控訴人は、太郎の死亡に伴う相続に関し、その全遺産の包括遺贈を受けた被控訴人に対し遺留分減殺請求権を行使した結果、平成二年一二月二五日成立した調停により、価額弁償金として被控訴人から一億九八〇〇万円(現実には、控訴人負担との合意のあった相続税額七八〇〇万円を控除した金額)の支払いを既に受けており、養子縁組に伴う養親である太郎の遺産承継の期待は充足されるとともに今後経済的にも安定した生活を送ることが可能な資産状態にあるといえる。

控訴人は、甲野の家を継いで、家業を守りたいというものであるが、被控訴人との関係修復に明確な方法や見通しを持っているものではない。

以上の事情を総合すると、本件養子縁組は、破綻状態の長期間の継続により既にその実体を失い形骸化の程度が著しく、控訴人が長期間不正常な養子縁組の継続を固執することにも合理的な理由は窺いえず、縁組関係の破綻につき有責の当事者である被控訴人の請求に基づき縁組の解消を許すとしても、社会正義に著しく反するともいえないから、被控訴人の離縁請求を認容するのが相当である。

なお、以上に判示した理由で被控訴人の本訴離縁請求を認容することは、前訴控訴審判決の既判力に抵触するものではない。その理由は次のとおりである。右判決は、被控訴人と控訴人との間の養親子関係が破綻していることを認めながら、被控訴人の右破綻についての有責性を理由に被控訴人の前訴離縁請求を棄却したものであり、右有責性自体には現在でも変わりはないが、右判決の口頭弁論終結時から更に五年八か月が経過しながら破綻は更に深刻なものとなったこと、控訴人の生活が本件養子縁組と無関係な形で安定するようになったこと、控訴人に養親太郎の死亡に伴う相当多額の収入があったことなどにより、右有責性の離縁請求に持つ意味は、大きな変容を来し、現在では、前記控訴審判決の口頭弁論終結時とは異なり、右有責性を理由に本訴離縁請求を棄却することの方が相当でない状態になったものと解される。

四よって、被控訴人の本訴請求を認容した原判決は正当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官伊藤滋夫 裁判官宗方武 裁判官水谷正俊)

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